1: 湛然 ★ 2025/02/16(日) 08:05:44.20 ID:agq8cjym9
「右に見える競馬場、左はビール工場」 ユーミンの「中央フリーウェイ」はなぜ時代を超えて愛されるのか? 歌詞から読み解く1970年代の東京の姿とは
2/9(日) 20:51 Merkmal
https://news.yahoo.co.jp/articles/b991da1b44ae081ee872128e5f6f7958db560068?page=1




■「中央フリーウェイ」不朽の名曲
現在の中央自動車道と調布IC(画像:国土地理院)
1976年に発表された松任谷由実(当時は荒井由実)の「中央フリーウェイ」(『14番目の月』収録)は、東京から八王子方面に向かう高速道路を舞台に、ドライブを描いた楽曲だ。リリースからほぼ半世紀が経過しているが、その魅力は今も色あせることがない。
なぜ、この曲は時代を超えて多くの人々に支持され続けているのだろうか。
歌詞に登場する具体的な地名や風景、例えば在日米軍の調布基地(現在の調布飛行場)、サントリー武蔵野ビール工場、東京競馬場を手がかりに、当時の時代背景や都市の変遷を考察することで、その理由を探ってみたい。
■都市と郊外の境界を走るという感覚
「中央フリーウェイ」は、単なるラブソングにとどまらない。曲の冒頭からリズミカルなメロディとともに
「右に見える競馬場、左はビール工場」
といった具体的な風景描写が登場する。この情景は、中央自動車道(中央道)の調布ICから八王子方面に向かうルートに沿ったもので、当時から現在に至るまで変わらず存在している。
中央道は1967(昭和42)年に調布ICから八王子IC間が開通し、当時最先端の道路として注目を集めた。都市と郊外を繋ぐこの高速道路を走ることは、単なる移動ではなく、東京の中心から少しずつ日常を離れていく感覚そのものだった。
「都会を抜け出し、どこかへ向かう」
という体験が、この曲の爽快感と自由な雰囲気を支えている。
■競馬場と工場が映す時代
「右に見える競馬場、左はビール工場」というフレーズは、単なる地理的な説明ではなく、都市の遊びと郊外の工業が隣り合う、当時の東京西部の姿を象徴している。
東京競馬場(府中市)は、日本の競馬文化を代表する場所のひとつであり、1970年代には「大人の娯楽」としての側面が強まりつつあった。競馬はかつて賭け事として扱われていたが、この時期、週末には多くの人々が足を運ぶスポットとなった。
競馬場は「熱狂」と「夢」を象徴する場所でもあり、観客たちは馬の疾走に歓声を上げ、その光景は中央道を走る車の窓からも見えた。こうした情景が、「中央フリーウェイ」の歌詞にさりげなく織り込まれている。
一方、競馬場の反対側にはサントリー武蔵野ビール工場がある。この工場は1963年に操業を開始し、1970年代にはビール生産の重要拠点となっていた。ビール工場は日本の高度経済成長を象徴する存在であり、労働者たちはここで働き、都市に住む人々はここで作られたビールを楽しんだ。
・都市の「働く場所」としての工場
・都市の「遊ぶ場所」としての競馬場
が、中央道を挟んで並んでいる構図は、まさに当時の東京西部の姿を映し出している。
この対比があるからこそ、「中央フリーウェイ」は単なる風景描写ではなく、都市のエネルギーを感じさせる楽曲となっている。
(※以下略、全文は引用元サイトをご覧ください。)
引用元: ・https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1739660744/
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